ころりころげた

 冬から春にかけてばたばたしておった。定職についた。よいところである。去年までのしんどくていつ死のうと思ってたのと全然違っていてほんとうに驚いておる、ほんとにしんどくて死ぬのとか具体的に計画しておって、いや、中古で軽自動車買って練炭たいて酒と眠剤でいけるから、ということで死ぬためにお金ためていたのだけど、まさか呼んでもらえると思ってなかったところに呼んでいただき、死ぬための金で西武線に部屋を探し冷蔵庫などを買った。
 職場はよいところである。しかし、わたしは素直すぎるので、結構な失言をさっきしてしまったけど、たぶんあんまりみんなきいてなかったと思うし、まじめに働けば問題ないのだと思う。わたしは、まじめすぎるので、だので今の仕事はすごくちょうどいいと思う、。まわりの人にも恵まれたと思う。うまくいきすぎて怖い。
 金村修の展示を銀座にみにいったんだけどくっそかっこいいなああ。よかった。
 うまく謙遜のできる人になりたいものだ、といつも思う。あと、褒められたときに、うまく受け止める方法が知りたい。肌がきれいと最近よう言われてうれしいんですけど、バカでブサイクすぎてそこしか褒めるとこないからなのではという勘繰りをし、ムリに褒めなくてもいいのに、申し訳ない、て気持ちになって、申し訳ない。申し訳ないがどんどん追いかけてくるので、申し訳ないにも申し訳ないし、申し訳ないにも申し訳ないしにも申し訳ないのであった。!
 自己肯定とかが怖いのだ。とにかく、自分のやっていることは、間違っている、という前提からはじまっちゃうからだめなんだろうけど、それはどうしてなんだろうな? 中学くらいまではほんまもんの優等生で、いや、コミュニティが小さかったからってのもあるけど、ほんまにびっくりするほど優等生やった。自分のしていることが間違っているとかあんまり考えたことなかった、求められたものに対しストライクばかりだった、というわけではないのだけど、今思うと。そのころは、そういう幸せな勘違いをしていられた。そういう勘違いとかはかなり実動に作用する。根拠のない万能感というやつ。根拠のある(ように、おそらく、思い込んでいる)無能感で結構かなりつらいの。

 植松伸夫ほんとカッケー