死なないために?

 職場には恵まれたとかなんとか一年前には書いておったのだが、その後人がいなくなったりなんだりで、いろいろあったりなんだりで、調子を崩して、とうとう病院のお世話になってしまった。

 もうずっと頭の調子が悪かったのだ。生体活動を止めないでいることで精いっぱいだった。それ以外はわからなくなってしまった。
 仕事で、正解やそれに近いことを探すことは、まだできている。前よりも遅くなったかもしれないけど、できている。と思ってる。
 あなたはどうしたいですか、どう思いますか、わたしは何がしたいですか、何がほしいですか、ってなったときに全然わからなくなってしまった。
 どこにいてもしっくりこないけど、とにかくここにはいられない。久しぶりに140字以上のものを書いているもんだからどう書けばいいか、どう書いてたかも思い出せなくて、なんだか、うまく書けないんだ。
 もうあたまがだめみたいだなあ。仕事乗り切ればなんとかなる、と思ってたけど、なんとかならなかった。一生こうなんだ、と思った。死なないためにがんばるなんてむなしいなあ、死ぬかあ、となっていった。
 もともと、死にたい死にたいと人より多くいうてまう人間だったと思うわたしは。それは、死にたいというでなく(というと、生きたい、てくると思うだろうけど、あれはなんかよくわからんしすきじゃない)かまってほしいとか死ぬほどつらい状況をあらわす言葉があほのこすぎてたりなかったとかそういうのでつまりマジで首筋にカミソリみたいな感じではなくてですね。今回の死にたいはかなりほんとに死んでしまう感じだった。
 身辺整理から始めた。本もかなり処分したし、服も、仕事の以外はだいぶ捨てた。気に入っていたマニキュアとかアイシャドーも仕事用のを残して捨てた。
 仕事しないといけないっていうのがでかいんだと思うあたまのなかで。
 ただ、まだ治る、戻れる、という意識があるから、美術関係の本とかはすてずに持っているし、カメラも捨てないである。という、中途半端な身辺整理。
 首つるロープのよい太さと材質を調べて、バラ売りの介護用おむつも買った。場所はどこがいいかも調べたけど、耐えられなくなったら場所関わらず吊ろうって思っていた。
 もともと、練炭かヘリウムかって考えていたんだけど、準備が結構大変そうだし、失敗したらめんどうだ。首吊りなら大丈夫だろうし、準備もかなりシンプル。
 土曜日の朝、よし、今日ロープ買いにいこう、と思った。でも布団から出られなくて、夕方になってちょっと落ち着いて、やっぱりまずいんちゃう、となって、病院の予約をとった。